お金は自分と家族が食べていけるだけあればいい?

先日あるセミナーで聞いたのですが、ある女性は、「お金は自分と家族が食べていけるだけあればいい」と言っていたところ、実際に食べていくのがやっとの生活をずっと続けている状態だったそうです。

食べていけるだけ稼げれば十分、という信念を持っていると、本当にギリギリの生活になってしまうことが多いです。

一方、兆の資産を持つ、ビル・ゲイツや、マーク・ザッカーバーグらは、困っている人に多額の寄付をしています。

お金は食べていけるだけあればいい、とは私の祖父も口癖のように言っていました。おそらく私にもそこ思想が信念体系、価値体系のどこかに組み込まれているような気がします。

もし、こうした信念、つまり、お金は食べていけるだけあればいい、という信念を持っているとどうなるでしょう?

給料が食べていける額を上回ったら、それ以上給料を上げるモチベーションがなくなるでしょう。

また、自分だけ食べられればいいので、他の人が飢えや病気で苦しんでいても関係ない、そんな人達に寄付するお金はない、他人がどうなろうが知ったこっちゃない、という風になるのではないでしょうか?言い方によっては、利己的、自分中心主義、エゴイストと非難されるかも知れません。寄付もしない(できない)わけですから。

ビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグらは、自分が食べていければいい、という考えでマイクロソフトやフェイスブックを作ったのでしょうか?

そうでないことは明らかでしょう。彼らは財団を作り、数十億、数百億円の寄付をしています。ウォーレン・バフェットも莫大な財産の95%以上を寄付する予定のようです。

カーネギーも鉄道王となって大金持ちになった後は、カーネギー財団を作り、寄付したり大学を作ったりしました。

つまり、大金持ちになる人は、大金持ちになった後、多額の寄付をしています。

お金持ちになることは、他人を助けられる力を持つということです。必然的に他人を助けることになり、それには他人への愛が必要です。

それ以前に、この世界をよくしよう、皆が幸せになれる世の中にしよう、と思わなければ、事業で成功することも難しいです。ビジネスは困っていること、つまり、問題を解決するのがビジネスですから。

世の中をよりよくしよう、他人を幸せにしようという考えは、お金は自分と家族が食べていけるだけあればいい、という発想からは出てきません。食べていくことではなく、この世界をより便利で住みやすいものにする、つまり、他人をより幸せにする、という人助けの発想、つまり人類愛があるからこそ、ビジネスで成功できるのだと思われます。

一方の、お金は食べていけるだけあればいい、というのは、お金にはこだわらないことから、一見聖人君子のようにも見えます。しかしながら、これは、お金は自分と家族だけが食べていけるだけ稼げばいい、という意味では非常に利己的な考え方です。他人はどうなってもいい、しったこっちゃない、というのと同じことです。

つまり、お金持ちになるためには、自分の食べる分だけでなく、困っている他人にも援助できるだけのお金も余分に稼ぐ、という発想が必要ではないかと思います。

世の中には、想像を超えた世界があります。わずか1~2万円程度で売春宿に売られているインドや東南アジアの少女達、家族を養うためにわずかなお金で売春をしてエイズになって命を落とすタイの若い女性達、遺伝子疾患で色素が合成できないために肌が白くなって、呪術の儀式のためにハンターに狩られて殺されるタンザニアのアルピノの子供や大人、など世界には困っている人が大勢います。

そういう人達は10万円の寄付をすれば、1年間生活できたりします。お金持ちになりたいのであれば、そういう人達のために余分にお金を稼いで寄付する、というのがいいのではないかと思います。つまり、自分のためにも働くけど、さらに他人を救うためにもう少し稼ぐ、というイメージです。

アンソニー・ロビンズも、貧しい人たちに食料等のプレゼントをできるだけ多くの家庭に届けるためにお金を稼いでいたそうです。

また、寄付をすることで、会社の業績が上がる、ということもあるそうです。

人は自分のため、というだけではモチベーションが続きません。しかし、他人のため、であれば頑張れる面があります。

そういう意味でもお金を稼ぎたいのであれば、誰かに寄付して救う、という目標も持てばよいのではないかと思います。

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