出来事を全て良いように解釈する 意味づけ

何か出来事が起こったとき、どういう反応をするかは、その人の状態(ステート)と、世界観、価値観、信念、ブループリント、比ゆなどによって変わってきます。

例えば、世の中は間違っている、大人の世界は汚い権謀術数ばかり、という世界観を持っていると、世の中の悪い部分ばかりが目につくようになり、「やっぱり世の中は間違っている」と言って信念を証明します。

逆に世の中はすばらしい、日本に生まれたのは本当にラッキーだ、ツイテルという世界観を持っていると、日本に生まれたラッキーさを証明するような事実に気づくようになります。戦争に行って手足や命を失うこともないですし、水はキレイな水がいくらでも飲み放題、お風呂もシャワーも世界的に見てもとても使いやすい。やっぱり日本は最高、と、毎日楽しく過ごせます。

全く同じ現象を見ても、世の中は間違っている、というフィルターをかけて見たらそういう現実ばかりが目に入り、やはりそういうものだ、と結論づけてしまいます。

世の中は素晴らしいことに満ちている、というフィルターをかけて見たらやはり、素晴らしい現実ばかりが目に見えてきます。

どちらも現実ですが、後者の解釈で生きて行った方がずっと楽しいと思います。

では、どうすれば後者のように、世の中は素晴らしい、楽しい、面白い、と思えるのでしょうか?それは、自分の世界観を書き換えればよいです。

これまで、世の中は間違っている、腐っている、と思っていても、これからは、世の中は間違っていない、素晴らしいところだ、この世界は最高だ、と思うようにすればだんだんそれが本当のように思えてきます。そしてその信念を強化するような事実に次々に出会うことでしょう。

この世界はどういうものか?という比ゆ(メタファー)も非常に重要です。

徳川家康は、この世は思い荷物を背負って坂道を上がるが如し、のような句を残しましたが、そういう信念をもっていれば、一生荷物を背負って坂道を苦労して登るような人生になるでしょう。

あるいは、この世界は、てぶらでエスカレーターに乗って好きなところに連れて行ってもらえるところ、という信念を持っていたらどうでしょう?そう思っていたら、自動でいろいろなところに連れて行ってくれるようになると思います。

この世界を素晴らしいもの、美しいもの、正義があふれる世界にするのも、つまらない、面白くない、憎しみ合うものにするのもあなたの世界観一つで決まるのです。どうせならこの世界は素晴らしい、という世界観を持って生きていくのもよいと思います。