天安門広場、南京大虐殺、北朝鮮と主体的創造、惰性的創造

表題のとおりですが、南京大虐殺を非難するのであれば、天安門事件の方がもっと虐殺の数が多く、よりひどい話だったのではないかな、という気がします。

南京の方は日本人が南京の人を虐殺した(かどうかは不明。当時の人口は30万人もいなかったとの説が有力)のが問題なので、国家間の賠償が絡むけど、天安門事件の虐殺の方は中国内部の問題だから、どんなに非人道的なことをしてもよい、ということにはならないでしょう。

南京大虐殺を記念日にしようという人は中国共産党か、そこからお金をもらっている御用学者のような気がします。

そうした大局的な部分を見ると、世界の構造が見えてきます。自由世界と、中国、ロシア、北朝鮮のように独裁者が利権を独占し、自由な情報の流れを遮断し、国民を騙して統制している世界です。

北朝鮮や中国だけでなく、体制に都合の悪い自国民を虐殺したり、まともな理由もなく死刑にしたりする国は他にも存在します。

引き寄せの法則や潜在意識の法則があるのに、なぜ、そのような不幸な人生がまだ世界にはあるのでしょうか?その国の人達は、そのような現実を望んで引き寄せているのでしょうか?

決して望んでいるわけではないと思います。

その原因の1つには、主体的創造と惰性的創造という問題があります。

主体的に未来を想像して創造する人と、他人のビジョンに従ってしまい、他人の創造した世界のフォロワーになってしまう人がいます。

そして、被害にあうのは後者の惰性的創造をする人達ではないかと思います。

例え、北朝鮮に生まれたとしても、自由世界を知り、そこに行こうと望めば何等かの手段があるはずです。

例えば、外貨を稼ぐために外国に出張できる人になる、とか、科学者として海外の技術を学びに外国に出る、ということはやり方次第では可能ではないでしょうか?

中国でも、科学者は米国で大勢が学んでいます。私の知人も米国でアカデミックポストを得て定年までアメリカの教授をしていました。

本当にそこを抜け出して成功したいと強く望めば可能になると思います。もちろん、失敗すれば強制収容所送りになってしまいますが、そうならずに国外に出れる人もいるはずです。

例えば、インテルのアンディ・グローブは、ハンガリーから亡命してアメリカで大成功しました。それもほんのわずかなことが命運を分けたようです。

もし、あのとき、アンドリュー・グローブがハンガリーの秘密警察に見破られて脱出できなかったとしたら、今のインテルはなかったかも知れません。命がけで機転を利かしてブダペストを脱出したからこそ、アンディ・グローブは米国で自由な社会を満喫できたのでしょう。

北朝鮮や中国のような国に生まれれば、自由を得ようとすると大きな代償を払う必要があると思います。しかし、今の日本にいる私たちは生まれながらにして自由で、何にでもなれ、どこへでも行ける自由を手にしています。

だとすれば、その恩恵をフルに活かして世の中をより素晴らしいものにしたいものです。そのためにも、主体的創造をすることが重要です。

 

北朝鮮などは、国そのものが強制収容所みたいなもの、という人もいます。そんな、不幸な国に生まれるのはひどい罰ゲームみたいなものです。

そして、そういう国で生きていくには、ウソのプロパガンダを信じて、あるいは、信じたふりをして一生生きていかなければなりません。自由主義の国からみたらあり得ないことですが、現実にそういうとんでもない国が存在します。昔なら、革命が起こってトップが殺されてもおかしくないでしょう。