山口真由著-高学歴エリート女はダメですか?

山口真由さんの、「高学歴エリート女子はダメですか」(幻冬舎)を読んでみました。

私も東大卒なので、東大の内部事情は知っています。私の周囲の女性達は、ほとんどが結婚しています。結婚しなかったのは2人くらいで、珍しい方です。

ですから、高額的エリート女性がダメ、という感覚は全くないです。

もちろん、東大女子は卒業したら結婚しにくくなると思って、在学中に見つけようとしている、というのは聞きました。卒業して会社等に入ったら、多くの男は自分より学歴が下で、結婚するなら、できれば自分より学歴は落としたくない、と考えている女子が多かったようです。

とはいえ、私の同期で司法試験に大学4年生で合格した女性は早稲田大学卒の男性と結婚していました。彼女は裁判官をしています。早稲田位までは東大法学部卒女子も射程範囲のようです。

それはともかく、この山口真由さんの本を読んで、彼女は自己肯定感が低い、と書いていました。東大首席になるほど頑張ったのも、その自己肯定感の低さの故なのかも知れません。

例えば、弱くていじめられていた子供が空手を始めて強くなり、いじめっ子をやっつけただけでなく、日本一、世界一になったみたいなものなのかも知れません。

つまり、東大首席は、劣等感の裏返しなのかも。それとともに、もしかしたら、彼女は本当に自分の生きたい人生ではなく、親に貼られたレッテルの「勉強のできる子」という人生を無理をして生きてきたのかな、という気がしました。つまり、本当に勉強を楽しんでいたのか?あるいは義務と思って無理して勉強していたのか?ということです。

もし無理していたとすると、インナーチャイルドを癒す必要があるかも知れません。本当はこうしたかった、というのが心の深いところにあって、それが結婚を邪魔している可能性もあります。

私がもし東大首席だったとしても、東大首席、といちいちいいふらすだろうか?と思います。東大首席自体には何の価値もない、と私は思います。本当に重要なのは、東大首席の頭脳を使って何ができるか?どう社会に貢献できるか?が重要ではないかと思います。

例えば、水野遼君は東大医学部に入り、そこで司法試験と会計士試験に合格しました。山口真由さんよりも頭はいいかも知れません。正に東大首席を名乗れると思いますが、彼は名乗っていません。他にも毎年東大首席は文系、理系とも1人づついると思いますが、東大首席を名乗っている人はほとんど聞きません。

水野遼君は、今は弁護士をしているそうです。しかしながら、大手の事務所ではあまりうまく行かなかったのか、故郷の福岡の小さな法律事務所で働いているようです。つまり、試験に合格しただけでは、いい仕事をできるとは限らない、ということと思います。

このことはまた、例えば、弁理士試験で塾で優秀答案を連発し、トップクラスで弁理士試験に合格した人が、ほとんど仕事ができなかった、というオチとも似ています。

つまり、東大首席だったとしても、それだけでは何者でもなく、その頭脳を活かして官僚としていい仕事をするとか、裁判官や弁護士として画期的な判例を作るとか、学者として優れた業績を残す等の実績があって初めて意味があるのではないでしょうか?

理系ならさしずめ、ノーベル賞クラスの大発見をするとか、です。

東大からの人、東大までの人、という言葉があります。山口真由さん自身ももう卒業後十数年経っているのだから、東大首席から卒業しなければ、ということを著書の中で書いていました。

東大首席以外の肩書ができたとき、彼女も社会に貢献したことになるのではないでしょうか?

もう一つ気になったのは、あまり恩師や先輩に感謝する言葉が無かったことです。感謝できないと幸福感を感じられないものです。そういう意味で、山口真由さんはあまり幸福感を感じてないのかな?という気もしました。これは全くの推測で外しているかも知れませんが。

さらに、現状に満足すると、向上心が無くなるので、満足したくない、というようなことも書いていましたが、これは私も以前はそう思っていました。しかし、アンソニー・ロビンズの充足の芸術(art of fullfilment)という概念を聞いて、現状に満足しながらもハイレベルの努力を続けることは可能、と気づきました。

これは、例えば、甲子園を目指す高校生が、野球をやれること自体に幸せを感じ、感謝しながら、猛練習をしてチャンピオンになる、というようなものです。

その反対の例として、子供の頃からチアリーダーとして全米で優勝を夢見ていた少女と母親がいました。その子は高校で全米3位になったそうです。普通はこれでも十分すごい成績です。しかし、その子は優勝できなかったことを苦に自殺してしまいました。

これは、今自分が持っているものに満足できなかったためです。充足の芸術を知っていたら、彼女は死なずに済んだでしょう。

そういう意味で、山口真由さんにも充足の芸術を取り入れて欲しいと願っています。

そして、彼女が鎧を脱ぎ捨て、力を抜いて、もっと楽に生きられるようになったとき、もっと進化した、しなやかで魅力的な山口真由さんが見られるのでは?と期待しています。山口真由さんには、もっと人生を楽しんで生きて欲しいですね。